あいする金沢。

日々「好き」が増す金沢のこと、私なりに。

まちしるべ

升形。

発掘された遺構を元に復元された升形。 城下町の守りを固めるために堀や土居を 出っ張らせてそこに門を設置した…みたいな感じの ようです。 大きなマンションと升形遺構、一緒に見られるのは ここくらいでしょうか。 この道は、金石に向かいます。 【加賀藩…

旧河内町。

かわちまち。 大学病院前に広がる石引広見の一角に。 石引はまだまだ知らないところが多いので これからどんどん深掘りしたいです。 【加賀藩の老臣禄高一万七千石の奥村氏の下屋敷 (家中町)があったところで、同家の当主が河内守に 任ぜられたことがあり、…

中村高畠用水。

なかむらたかばたけようすい。 藩政期から変わらず流れている農業用水。 用水に架かる樹が見事です。 水の流れを見ているだけで癒やされますね。 【藩政初期からある農業用水で、犀川から 取水して旧石川郡米丸村中、同高畠などに 灌漑していたが大正七年二…

高岡町。

たかおかまち。 金沢市文化ホールのすぐ近くにあるまちしるべ。 まちしるべの色が違うのはなんでかな、 何か特別なことがあるのかな。 【越中高岡に隠居していた二代藩主前田利長が 家臣を高岡からかえし、この地に住まわせたため この名がついた】

旧小川町と来教寺。

ある日の卯辰山の寺院散策のスタートは、 来教寺から。 旧小川町のまちしるべも見つけました。 金沢出身の金属造形家、蓮田修吾郎の多宝塔が あるとのことでぜひ見たかったのですが、 本堂にあるようで残念ながら見学出来ず。 【藩政時代は川(河)端町、西養…

本多町は、ヨコです。

本多町のまちしるべは、ヨコです。 なぜここだけヨコなのか、MROの前だからなのか、 本多氏がヨコがいいと言ったのか^^; ナゾは深まります。 【加賀藩の老臣本多安房守の下屋敷が あったところなのでこの名がついた かつては本多氏の名をかぶせた町が十五あ…

旧英町。

はなふさちょう。 先日載せた記事「芳斉あたりで」の写真を撮った 場所のすぐ、ホントにすぐ近くにあったのですが 向かい側の建物を撮ることに全集中で 全然気づかなかったまちしるべ、です^^; 【もと安江木町の一部で、町内に英田広済寺が あったことから、…

片町。

きらら前にあるまちしるべ。 学生さんがすぐ近くにいたので、 邪魔にならないように、且つ素早く撮りました^^; 【藩政初期、この地は犀川が分流し 河原になっていたが、片側に掛作りして すまいをしたためこの名がついた はじめこのあたり一帯を河原町と呼ん…

竪町。

竪町の広場にあるまちしるべ。 比較的新しいのかな、説明書が読みやすいです。 【古くは犀川の河原であったが、 元和二年町地となり、川に並行して道路を つくったため竪河原町と呼んだ のち省略されて竪町となった】 このあたりは犀川の河原だったのですね。…

旧元車町。

もとぐるままち、長土塀あたりです。 旧高儀町のまちしるべの斜向いあたりなので、 ふたつのまちしるべをいっぺんに撮ることが 出来ます(⁠^⁠^⁠) 【藩政初期、大豆田用水に水車を設け灯油を 製造したところから、犀川油車、油車町とも 呼ばれていたが、のち、…

旧高儀町。

こうぎまち、長土塀あたりです。 周りの景色をもっと撮ればよかった^^; ちょうど向かいあたりにもうひとつ、 「旧元車町」のまちしるべを発見。 なんだかすごく得したキブンでした。 【もと寺地などであったが藩政前期に藩用地とし 藩士の屋敷などを置いたの…

旧梅本町。

うめもとまち。 大手町あたりの裏道で見つけたまちしるべ。 宝探しみたいで、まさかこんなところに、 という感覚がたまりません。 【廃藩直後、加賀藩の老臣一万八千石前田孝敬の 邸地を東西に二分して作られた町で その家紋「角の内梅輪」にちなんでこの名が…

旧藺田町。

いだまち。なかなか読めないです。 「い草」の「い」ですね。 向こうに小さく見えるのは市民芸術村。 旧藺田町を通って、市民芸術村へ(⁠^⁠^⁠) 【古くから、金沢地方でも広く藺草を栽培して 畳表を作っていたが、慶長以前頃から小松表を 用いるようになったの…

旧寶船路町。

ほうせんじまち。 すぐそばにある法船寺は、 お化け鼠を退治した猫の話が伝わるお寺で、 その猫達を供養するための義猫塚があります。 【寛永の大火のあと 犀川大橋詰にあった 法船寺がこの地に再建されて門前町をつくり 法船寺町と呼ばれた 明治4年宝船路町…

旧高道町。

たかみちまち。 東山です。 高いところにあったから高道町。 ひがし茶屋街を過ぎると、時間がゆっくり 過ぎていくようです。 このあたりから卯辰山寺院群を散策するのも いいかもしれません(⁠^⁠^⁠) 【藩政初期の北陸道は現道路よりやや西にあった いまの道が…

近世史料館と一緒に。

玉川図書館の近世史料館と 旧宗叔町のまちしるべを一緒に撮ってみました。 なんだかとてもいい感じに撮れました(⁠^⁠^⁠)

旧仙石町。

せんごくまち。 大和の裏手、四高記念公園側にあるまちしるべ。 まちの中心地にもけっこうあります。 気づかずに通り過ぎたりして^^; 【千石町とも書いた 藩政初期からの 町名であるがその由来は明らかではない】

旧豊国町。

とよくにまち。 浅野川に架かる天神橋の卯辰山側にある まちしるべです。 説明書を読んでいたら、散歩中のお子さんが 元気よく「こんにちは!」と挨拶してくれました。 一緒にいたおばあちゃんもニコニコ。 つられて私も「こんにちは!」と。 あったかいキモ…

三社町。

去年の春、「金沢七福参歩道」で豊田白山神社に 行った時に神社の前にあったまちしるべ、です。 【この付近は旧石川郡戸板郷三社村で 氏神三社の宮があったのでこの名になった。 藩政時代は武家屋敷に農家、町家が混在した 町であった】 本来であれば武家屋…

旧玄蕃町。

ふらっとバス材木ルート、材木町〜天神橋あたり。 なかなかひとりでは見つけにくい場所に ありますが、秘密兵器を使って、発見(⁠^⁠^⁠) 宝物を見つけたみたいでうれしいです。 【加賀藩重臣 津田玄蕃の下屋敷があったところで 明治の初め この名がつけられた】

金沢大学発祥の地。

いつかの夜。 早く駅まで戻りたくて急いでて、 このへん入ったら近道になるかな…と思い、 曲がったら「金沢大学発祥の地」が。 郵便局の入口にひっそりと建っています。 1862年、加賀藩が開設したここ彦三種痘所が淵源。 このあと、師範学校や医学館を前身と…

旧博労町。

ばくろまち。 馬の飼育や売買を生業とする人たちが 住んでいたとのことなので、 きっと厩もたくさんあったのでしょう。 【藩政期、馬を売買するかたわら藩士の稽古用の 賃馬を飼育する博労たちが住んだことから この名がついた。馬労町とも書いた。】 以前、…

旧石浦町。

香林坊、東急スクエアの前、 こんなところにまちしるべが。 大通りに無いと思っているとあったりするから、 歩いていても気が抜けません。 いつもキョロキョロしてます。 【もと石川郡石浦庄下石浦村であったが 慶長年間 町地となりこの名がつけられた 城下…

旧巴町。

別院通りから曲がったところ、笠市町です。 まちしるべないかなぁ…と、なんとなく 曲がってみたら、ありました。 もってます! 別院通りには「巴橋」という小さな橋があります。 このあたり一帯が「巴町」だったのでしょうね。 【加賀藩士伴八矢の下屋敷(家…

旧東外惣構堀。

すぐそばに「しもどばし」という橋がありました。 当時からここにあったのでしょうか。 城があり、堀があり、堀の城側に土居がある イメージ。 想像は出来ますが、この金沢で実際に 見てみたかった、と、なんとなく思いました。 【慶長十五年、三代藩主利常…

旧木町。

ひがし茶屋街に向かう途中、円長寺前にあります。 いつもは人力車の方が待機しているのですが、 いなかったので撮影チャンス(⁠^⁠^⁠) 【藩政のころ、材木問屋が集まっていたので はじめ卯辰ノ木町、四丁木町などと呼ばれ のち、この名がついた】

旧宗叔町。

そうしゅくちょうのまちしるべは 玉川図書館近くに。 ふらっとバスと一緒に一枚、ベストショットです! 【元禄のころ、堀宗叔という医師が住んでいたので この名がついた。 堀家は代々藩医をつとめていた】

旧九人橋下通。

兼六元町の光誓寺近くのにあるまちしるべ。 【九人橋は東内惣構堀に架けられた橋で、 橋番が置かれていた。 十人並んで渡ると九人の影しか映らないという 伝説から、橋の名がついたという。 町名はここから生まれた】 尾張町の八百萬本舗さんの下に、 九人橋…

旧象眼町。

ぞうがねまち。 別院通りをちょっと曲がったところにある まちしるべです。 夜だったので、危うく見逃すところでした^^; 【藩政時代、地子町の一つで 象嵌師が住んでいたことからこの名がついた。 ずがねまちともぞうがんまちともいった。】 加賀象嵌(ぞう…

旧御歩町。

おかちまち。 徳田秋声記念館の近くにあります。 【藩政時代、藩主を警護する歩(かち)が 住んでいたので、この名がついた。 はじめ観音下御歩(徒)町などと呼ばれていた】 かつて、暗がり坂を「ひよどり超え」して 梅ノ橋を渡った旦那衆は、ここ御歩町を通…