2021-12-08 日暮ケ丘。 まちの景色 卯辰山にある日暮ケ丘。 14代藩主前田慶寧公が卯辰山を開拓した 当初からの名前とのこと。 「気がついたら日が暮れているほどの 素晴らしい眺め」が命名の由来なのですね。 そんな美しい眺めのこのあたりで ひだるいわいやと城に向かい叫び続けた 人達の気持ちを思うと胸が痛みます。 安政5年(1858)の安政の泣き一揆。 物価高騰で生活が苦しいことを直訴した だけなのに、首謀者とされる7人は処刑と牢死。 城にいた13代藩主前田斉泰公はどんな心境で その叫びを聞いていたのでしょうか。 その7人を供養するための七稲地蔵は 観音町の寿経寺に。