あいする金沢。

日々「好き」が増す金沢のこと、私なりに。

日暮ケ丘。


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卯辰山にある日暮ケ丘。

14代藩主前田慶寧公が卯辰山を開拓した

当初からの名前とのこと。

「気がついたら日が暮れているほどの

素晴らしい眺め」が命名の由来なのですね。

 

そんな美しい眺めのこのあたりで

ひだるいわいやと城に向かい叫び続けた

人達の気持ちを思うと胸が痛みます。

安政5年(1858)の安政の泣き一揆

物価高騰で生活が苦しいことを直訴した

だけなのに、首謀者とされる7人は処刑と牢死。

城にいた13代藩主前田斉泰公はどんな心境で

その叫びを聞いていたのでしょうか。

 

その7人を供養するための七稲地蔵は

観音町の寿経寺に。