あいする金沢。

日々「好き」が増す金沢のこと、私なりに。

まちしるべ

水溜町。

新竪町から細い路を入ると、 全く違った景色が広がります。 【犀川の河原であったが、 川跡を追い追い埋め立て、 埋め残りに水溜堀があったのでこの名がついた。 元禄年間、60メートル余のこの堀は 水溜と呼ばれ消防に役立った。】 保存樹にもなっているモミ…

旧岩根町。

【藩政初期、馬術の名人岩根十蔵が開いた 馬場があったので岩根馬場と呼ばれていたが 中期のころこの名がついたという】 小橋近く。 このあたりには広く馬場があったようですね。

観音町。

【元和2年 観音院が卯辰山から移された時 観音院から浅野川大橋までの道を拡張し この通りを観音町と称した】 令和元年5月1日、記念すべき令和最初の日に 旧町名が復活したので「旧」は 消されております。 観音院のとうきびのお守り欲しいな。 おまいり行こ…

主計町。

旧町名復活第一号、主計町。 かずえまち。 なかなか読めないかもしれませんが、 偶然にも学生時代の先輩にこの名前の人が。 そのおかげですんなりと読めました。 これもご縁でしょうか(^^) 【大阪夏冬の両役に功をたてた加賀藩士 富田主計の邸地があったとこ…

六斗の廣見。

ろくとのひろみ。 広見、金沢に多いですね。 地元には広見は、多分…ありません^^; 特定の地域にあるものなのでしょうか。 【広見というのは藩政時代延焼を防ぎ 大火としないための町づくりの一つとして 設けられたものであり金沢のあちこちにあった 地名は加…

尾張町。

町民文化館のすぐ近くにある 尾張町のまちしるべ。 建物と調和して、いいフンイキです。 【前田利家の出身地、尾張から来た商人を 住まわせたのでこの名がついたといわれ、 藩政期は金沢の経済の中心地であった また一時期尾張からついてきた足軽、 小者など…

旧榮町。

フルーツむらはたさんの向かい側にある まちしるべ。 以前は小さなお店が並んでいましたが、 今は空き店舗ばかりで少しさびしい感じ。 【藩政時代 人持組深美氏の邸宅があったので 深美小路と呼ばれた 明治の初め諸士の邸宅が商家となり 繁昌を願って栄町と…

公設市場。

藩政期から「金沢の台所」だった近江町市場。 明治37年(1904)に公設市場として 認可されました。 官許金澤青草辻近江町市場。 その証の標柱です。 寒い日に飲んだ豆乳、おいしかったな。 また飲みたい(^^)

十間町。

じっけんまち。 もしかして一番見てるかもしれないまちしるべ。 このあたり、よく通ります:^) 【寛永以前からの古い町名で 当初の戸数が十軒であったことから この名がついたという】 400年以上前から十間町だったこのあたり。 江戸時代はどんなだったのかな…

旧松原町。

尾山町小公園の近くにあるまちしるべ。 旧町名は、大通りではなく一本入った道に ひっそりと建っているのが多いかと。 探すのではなく、出会いを大切に(^^) 【もと松原口門の前にあったことから この名がついたという 藩政期には権現堂御門前町ともいい のち…

武蔵辻。

他のまちしるべよりも大きいのは、 今も昔も要衝だからでしょうか。 【加賀藩時代に藩の重臣中川武蔵守の屋敷が 付近にあったことや また 家柄町人の 武蔵庄兵衛や矢師の武蔵が住んでいたこと などからこの名で呼ばれており 藩政のはじめから交通、商業の要…

柿木畠。

鞍月用水が流れ、魅力的なお店が たくさんある柿木畠。 かの有名な「もっきりや」さんも このあたりにあります。 まちしるべには「旧」がついていますが、 平成15年10月1日に町名が復活しました。 昭和41年から広坂一丁目だった住居表示が 「柿木畠」に戻り…

香林坊。

「こうりんぼう」。 言葉の響きも、漢字も、大好きです(^^) まちしるべによると… 【藩政初期 叡山の僧 香林坊が還俗して 向田兵衛の婿となり目薬屋を営んでいたのが 地名の起りである 北陸道の要しょうで城の外かくの総構門があり 番人が夜間通行の取締りを…

橋場町。

「懸作」のすぐ近くにある 「橋場町」のまちしるべ。 このあたり、いい感じ。 いつもは浅野川大橋は渡らずに 鏡花のみちか、主計町か。 たまに「はやし」さんで和菓子を購入(^^) 【天正年間は懸作・掛作とよび 商人が浅野川の河原に 掛作(仮屋)を作って商…

懸作。

浅野川大橋の南側袂にあるまちしるべ。 【加賀藩初期から上期にかけて この土地で掛作りの仮屋を設けて 商売をするものがいたのでこの名で呼ばれ、 その後橋場町になった】 「かけづくり」初めて聞く言葉です。 「懸け造り」で調べると、 急峻な山や崖の斜面…

旧玉井町。

音楽堂とANAクラウンプラザの間にある まちしるべ、旧玉井町。 竹に囲まれたまちしるべが雰囲気あります。 「たまのいまち」と読むんですね(^^) 【加賀藩士禄高五千石の玉井氏の屋敷と 同家の下屋敷・家中町があったところで 明治の初めこの名がついた】

旧西外惣構堀。

市役所とふるさと偉人館の間にある 「旧西外惣構堀」の遺構。 城の防御力を高めるため、外惣構と内惣構、 金沢城には二重に惣構が造られました。 その名残がまちのあちこちにまだ残っています。 そのまま残す場合もあり、 積み土をしたり新たに石垣を足して …

旧味噌蔵町。

ここも何度も通っている道です。 少し立ち止まって指標をパチリ。 坂道も、町名も、由来を知ると 昔の景色や、まちの様子を 想像することが出来て楽しいです。 今回の指標は以上。 次回は地図を頼りに指標めぐりかな(^^) 《旧味噌蔵町》 藩政初期に軍用の味…

泉用水。

サラサラと流れる水を見ると ふらふらと近寄ってしまいます。 これも多分その類なのですが、 どこで撮ったか全然思い出せない… 「泉用水」で調べたら、 野町や雨宝院、にし茶屋街付近を 流れているので、きっとそのあたりを 散策した時のものではないかと… …