あいする金沢。

日々「好き」が増す金沢のこと、私なりに。

まちしるべ

油車。

日が暮れる直前に見つけた油車。 夕暮れと鞍月用水の流れる音が なんだかとてもここちよかったです。 【藩政初期、油屋与助という油屋が この地に水車をつくり 灯油などの製造をしていたことから この名がついた】

にし茶屋街。

ひがし茶屋街、主計町、と並んで 金沢の三茶屋街のひとつ、にし茶屋街。 訪れたのは百万石まつりの少し前。 ちょうちんがいい感じで風に揺れておりました。 入口にはにし茶屋街ゆかりの作家、 島田清次郎の「地上」の一節が。 【あゝ、この感情、この真理、 …

旧白銀町。

旧しろがねちょう。 ちらりと雪が見える景色、時々登場します。 【藩政初期は安江村であった。 町地が広がったため安江木町となり、その一角に 白銀細工師がいたため町名になったという】

旧胡桃町。

兼六園下の交差点、和菓子の中島さんの すぐ前にあるまちしるべです(^^) 【この地の東内惣構堀にかかる橋を 橋詰の染師黒梅屋の名によって黒梅橋と いったが、俗にくるみ橋と呼んだことから 明治四年この名で町立てされた】

千日町。

細い道ながら、なかなかの交通量の雨宝院前。 ここに千日町のまちしるべがあります。 車の邪魔にならないように気をつけて 写真を撮りました^^; 【この町に真言宗の雨宝院があり 山号が千日山であるところからこの名がついた】

南町。

尾山神社すぐの南町、みなみちょう。 旧町名復活により2008年に南町復活しました。 「旧」が消されております(^^) 【佐久間盛政が城主のころ 城の南にあったのでこの名がついた 文禄元年この地に移転したが 寛永十二年の移転説もある】

旧森下町。

もりもとまち。 近くにはフシギオブジェが。 もっとじっくり見ておけばよかったです。 【藩政初期、森下村の郷士亀田大隅の子孫が 染工になって居住していたので この名がつけられた。】

堀川揚場。

瓢箪町をうろうろしていた時、 偶然見つけた堀川揚場。 いつも偶然見つける指標ですが、 今回はいつもよりうれしかった。 お〜こんなところに!?な発見でした。 【加賀藩時代から大正初期まで 浅野川を川舟で運んできた物資を荷揚げした 場所だったのでこの…

小橋用水。

江戸時代開削の用水。 のんびり歩ける遊歩道と 水車があるのですが… 夜だったのでなにやらわからず(泣) 【元禄年間、城下町の防衛などの目的で 築造された用水で、旧水車町では 精米、精油などの水車をまわしていた。 かつては小橋上流付近に、竹製の蛇籠に …

旧木ノ新保。

金沢駅前、もてなしドーム向かい側の まちしるべ。 今はこのあたりは此花町。 金沢駅の住所が木ノ新保だから、 昔の木ノ新保は もっと広い範囲だったということですね。 【古くは石川郡石浦庄木ノ新保村で 藩政初期のころ金沢城近くの西側から この地に移り…

堂形前。

しいのき迎賓館のシンボル、 堂形のスダジイ近くにあるまちしるべ。 【加賀藩初期、京都の三十三間堂の 「通し矢」を模した練習場があり これを堂形と呼んだ。 のち、そこに米倉が建てられた。】

旧五寶町。

ごぼうまち。 西別院の山門のすぐ近くにあります。 【西末寺(本派本願寺派別院)の門前で 藩政時代は西末寺町、西御坊町とも 呼ばれていたが、明治の初め、 この名に改められた】 このあと、町の踊場を探しに瓢箪町へ。

小橋町。

名前通り、小橋の近くにあるまちしるべ。 OTABAさんや、あめの俵屋さんも近いです。 【藩政時代、小橋は犀川大橋、浅野川大橋と ともに金沢の三ツ橋と呼ばれ、 金沢城防衛上の重要な拠点であった。 この橋の近くにある町なので 明治になってこの名がついたと…

旧田丸町。

白鬚神社のすぐ近くにある、たまるまち。 【加賀藩士田丸兵庫が住んでいたところで 兵庫は寛永期大聖寺藩に仕えたので 田丸兵庫上ヶ地町と呼ばれていた のち略してこの名がついた】

水溜町。

新竪町から細い路を入ると、 全く違った景色が広がります。 【犀川の河原であったが、 川跡を追い追い埋め立て、 埋め残りに水溜堀があったのでこの名がついた。 元禄年間、60メートル余のこの堀は 水溜と呼ばれ消防に役立った。】 保存樹にもなっているモミ…

旧岩根町。

【藩政初期、馬術の名人岩根十蔵が開いた 馬場があったので岩根馬場と呼ばれていたが 中期のころこの名がついたという】 小橋近く。 このあたりには広く馬場があったようですね。

観音町。

【元和2年 観音院が卯辰山から移された時 観音院から浅野川大橋までの道を拡張し この通りを観音町と称した】 令和元年5月1日、記念すべき令和最初の日に 旧町名が復活したので「旧」は 消されております。 観音院のとうきびのお守り欲しいな。 おまいり行こ…

主計町。

旧町名復活第一号、主計町。 かずえまち。 なかなか読めないかもしれませんが、 偶然にも学生時代の先輩にこの名前の人が。 そのおかげですんなりと読めました。 これもご縁でしょうか(^^) 【大阪夏冬の両役に功をたてた加賀藩士 富田主計の邸地があったとこ…

六斗の廣見。

ろくとのひろみ。 広見、金沢に多いですね。 地元には広見は、多分…ありません^^; 特定の地域にあるものなのでしょうか。 【広見というのは藩政時代延焼を防ぎ 大火としないための町づくりの一つとして 設けられたものであり金沢のあちこちにあった 地名は加…

尾張町。

町民文化館のすぐ近くにある 尾張町のまちしるべ。 建物と調和して、いいフンイキです。 【前田利家の出身地、尾張から来た商人を 住まわせたのでこの名がついたといわれ、 藩政期は金沢の経済の中心地であった また一時期尾張からついてきた足軽、 小者など…

旧榮町。

フルーツむらはたさんの向かい側にある まちしるべ。 以前は小さなお店が並んでいましたが、 今は空き店舗ばかりで少しさびしい感じ。 【藩政時代 人持組深美氏の邸宅があったので 深美小路と呼ばれた 明治の初め諸士の邸宅が商家となり 繁昌を願って栄町と…

公設市場。

藩政期から「金沢の台所」だった近江町市場。 明治37年(1904)に公設市場として 認可されました。 官許金澤青草辻近江町市場。 その証の標柱です。 寒い日に飲んだ豆乳、おいしかったな。 また飲みたい(^^)

十間町。

じっけんまち。 もしかして一番見てるかもしれないまちしるべ。 このあたり、よく通ります:^) 【寛永以前からの古い町名で 当初の戸数が十軒であったことから この名がついたという】 400年以上前から十間町だったこのあたり。 江戸時代はどんなだったのかな…

旧松原町。

尾山町小公園の近くにあるまちしるべ。 旧町名は、大通りではなく一本入った道に ひっそりと建っているのが多いかと。 探すのではなく、出会いを大切に(^^) 【もと松原口門の前にあったことから この名がついたという 藩政期には権現堂御門前町ともいい のち…

武蔵辻。

他のまちしるべよりも大きいのは、 今も昔も要衝だからでしょうか。 【加賀藩時代に藩の重臣中川武蔵守の屋敷が 付近にあったことや また 家柄町人の 武蔵庄兵衛や矢師の武蔵が住んでいたこと などからこの名で呼ばれており 藩政のはじめから交通、商業の要…

柿木畠。

鞍月用水が流れ、魅力的なお店が たくさんある柿木畠。 かの有名な「もっきりや」さんも このあたりにあります。 まちしるべには「旧」がついていますが、 平成15年10月1日に町名が復活しました。 昭和41年から広坂一丁目だった住居表示が 「柿木畠」に戻り…

香林坊。

「こうりんぼう」。 言葉の響きも、漢字も、大好きです(^^) まちしるべによると… 【藩政初期 叡山の僧 香林坊が還俗して 向田兵衛の婿となり目薬屋を営んでいたのが 地名の起りである 北陸道の要しょうで城の外かくの総構門があり 番人が夜間通行の取締りを…

橋場町。

「懸作」のすぐ近くにある 「橋場町」のまちしるべ。 このあたり、いい感じ。 いつもは浅野川大橋は渡らずに 鏡花のみちか、主計町か。 たまに「はやし」さんで和菓子を購入(^^) 【天正年間は懸作・掛作とよび 商人が浅野川の河原に 掛作(仮屋)を作って商…

懸作。

浅野川大橋の南側袂にあるまちしるべ。 【加賀藩初期から上期にかけて この土地で掛作りの仮屋を設けて 商売をするものがいたのでこの名で呼ばれ、 その後橋場町になった】 「かけづくり」初めて聞く言葉です。 「懸け造り」で調べると、 急峻な山や崖の斜面…

旧玉井町。

音楽堂とANAクラウンプラザの間にある まちしるべ、旧玉井町。 竹に囲まれたまちしるべが雰囲気あります。 「たまのいまち」と読むんですね(^^) 【加賀藩士禄高五千石の玉井氏の屋敷と 同家の下屋敷・家中町があったところで 明治の初めこの名がついた】