まちしるべ
柿木畠の市役所第二本庁舎敷地内にある標柱。 ここに金沢女学校(北陸女学校、 北陸学院短期大学)があったのですね。 詩人の中原中也が金沢に住んでいた時、 北陸女学校の附属幼稚園に通っていたとか。 寺町からここまで、けっこう距離があるけど 歩いて通っ…
石引をバスで通る時に見つけて、 ずっと気になってました、これはまちしるべ? 台座も本体も同じ石を使っていて同化している。 字が儚げ、しかもひらがななので読みにくい。 江戸時代に描かれた「金沢八景図屏風」の中に 「笠舞残雪」と「戸室日出」が出てく…
だいじゅめ。 読めない地名ナンバーワンかもしれないです。 2 月に探しに行きました。 森山でバスを降りて、雪に足を取られて 転びそうになりながら見つけた大衆免は 半分雪に埋もれてたので、説明書を撮るのは あきらめました。 今、写真を眺めるとヒンヤリ…
まちしるべを囲むように咲いた紫陽花。 偶然なのか、どなたかが植えたのか。 ちょうど1年前くらいに撮りました。 あっためすぎですね^^; 今頃もまた紫陽花に囲まれているのかな。 【加賀藩の老臣奥村氏(一万二千石)の 下屋敷地であり、同家の家紋九枚笹に…
ずっと前から行ってみたかった。 散歩がてら連れて行ってもらいました。 ビールは定番、自家製のらっきょうおいしい とのことで、それも。 メインは迷って迷って、マリボーチーズ。 まさに焼きチーズカレー。涙が出るほど おいしくて、ビールとらっきょう挟…
ひよけまち。 かわいい花々で彩られているだけで、 特別感満載に見えてしまうまちしるべ。 いやいや全部特別だろ、とツッコミを入れながら 写真を撮っております。 もりの里へ行くバスに乗っている時に見かけた まちしるべをいくつか収集、の日。 【藩政期、…
おけちょう、です。 袋町のまちしるべから彦三方面へ少し歩き、 右へ曲がって少しのあたり。 【藩政の初め、藩の御用を勤める桶職人たちが 屋敷地を与えられて住んでいたので桶屋町と 呼ばれていたが、元禄のころからこの名になった】 響き的には「桶屋町」…
大手町、今はホテル山楽ですが以前はここに 郵政ビルが建っていたような。記憶曖昧。 この碑には気付かなかったです。 すぐ近くには郵便局、 今も変わらず「郵便の地」なのですね。
たかじょうまち。 本多の森ホールからほど近いところにある まちしるべです。 後ろの建物は保育園かな、平日は賑やかな声が 聞こえそう。 その昔は、鷹匠のまち。 【寛文の初めのころから、藩の鷹匠の邸地や 鷹部屋があったので、この名がついた】
ななまがり。 想像通り、複雑な町筋だったのですね。 もし家の近くにまちしるべがあったなら、 ピカピカに磨いたり汚れを拭いたり するんだろうなぁ、きっと。 それくらい愛おしい。 そのうちピン留めした地図を作りたいと 思っております。 目標! 【藩政時…
長土塀の穴水町児童公園にあるまちしるべ、 あなみずまち。 こんなにも桜が咲き誇る美しい場所だとは 思わなかったので、うれしくて。 まちしるべに導かれたのかな、ありがとうです。 今年も桜の頃に、行きます。 【加賀藩老臣長氏の家臣らが住み、 上家中と…
ぎんなんちょう。 町名を書いた正面が車道側を向いているので、 向かい側からしか撮れず、なかなか難しかった。 もりの里に行くとき、いつもバスで通っていた道。 歩くの新鮮。 【藩士本多家の家士であった芝木氏の邸地が 当地にあり、同所にはイチョウの古…
いしびきまち。今も石引町です。 ここもよく通るのですが、気づきませんでした。 ココにはないと、と思い込んでいたのかも。 石を運ぶために城まで広くまっすぐに作られた道。 当時はリスクのほうが大きかったようですが、 それでも石垣を築くため、作ったの…
ひょうたんまち。 安江町の交差点から、いつもは行かない方向へ。 明成小学校の脇に、静かに佇むまちしるべ発見。 瓢箪町、今もある町名です。 この奥にもうひとつまちしるべがあるらしいので、 それはまた次の機会に(^^) 【藩政の中ごろまでこのあたりは…
やまだやしょうじ。 鱗町が近いので、このあたり一帯は魚屋さんの まちだったのですね。 幸町庁舎沿いの塀と堀が、まるで藩政期のよう。 と、勝手に想像してました。 井戸もありました、多分、井戸。 【藩政時代、山田屋という魚屋が数代にわたり 住んでいた…
「シュールな仲間たち」がいる公園です。 桜の頃に訪れてみたい。 ちょっと散り始めのあたりがいいかな。 仲間たちと花見したいですね。 【もと泉野村の地で、城からの眺めを よくするため桜の木が多く植えられたので、 この名で呼ばれたという】
うろこまち。 旧名ではなく、今もある町名です。 そっか、このあたり加賀藩時代は魚屋さんが たくさんあったということは、威勢のいい声が 飛び交っていたんだろうな。 【藩政初期からの町名、新立町末うろこ町、 犀川うろこ町、いろこ町などとも呼ばれた。 …
ひゃくしょうまち。 幸町あたり、のんびりした雰囲気があり 好きなまちです。散策するのが楽しい。 【もと石川郡石浦村の農地であったが、 江戸時代前期(寛永8年以前)に町立てされた。 農民が住んでいた町ということから この名がついた】
きくがわちょう。 まちしるべを撮ろうとすると、必ずカットインする 飛び出し坊や。 学校の目の前なので、飛び出し坊やがいるのは 当たり前ですね。 いつでもどこでも安全確認は忘れずに! 【文政二年、犀川の雅名菊水川から この名がついた。この地にあった…
ふるみち。 小さくてもスッキリと整えられた公園にある みちしるべ。キュートな遊具は、犬かな? 【金沢城下から宮腰(金石)へ通じる古い道で あったが、元和二年新しく往還ができたので 新道に対して古道と呼んだ】
「主馬町」しゅめまち。 なかなかの難読地名なのではないでしょうか。 人名とか地名とか、難しいです。 天気いい日だったな。 【藩政時代、鉄砲頭をしていた本庄主馬の 邸地があったので主馬殿町と呼ばれ、 のち、この名がついた】
先日投稿した金大医学類にある医学館第一期生の 銅像を受けて、たまたま大手町を通ったので 金沢医学館跡地を探しました。 すぐ見つかった(^^) このあたりに津田玄蕃邸があり、一番最初の 金沢医学館だったのですね。 今まで「点」だった知識が繋がって「…
さめがいちょう。 「旧」とありますが、まちしるべがあるのは 「醒ヶ井公園」。そして少し離れたところに 「醒ヶ井町」は実在します。 明治の頃、醒ヶ井町があったのはこのあたりだよ、 ということなのでしょう。 【藩政時代は北広岡村領の請地で前田土佐守…
さんじゃごじゅうにんまち。 長土塀あたり、です。 まちしるべの字体が他と少し違って、ゆるやかに 流れるようで素敵。 字体は何を基準に選ぶのかな、いつも気になる…。 【藩政時代、この地に足軽五十人組の 組地の一つがあり、三社にあったことから これを…
なるせまち。 何か理由があるからごみ集積所が近いのか、 たまたまなのか。 こういうパターン多いです。 生活と共存しているまちしるべ、ですかね。 【加賀藩重臣成瀬氏の邸地であったので この名がついた。昔は高石垣の上に楼門、長屋 などがあり、俗に加賀…
てらまち、まさに「寺町」のまちしるべは 妙法寺というお寺の前にあります。 この妙法寺、大きな大きなドウダンツツジが 有名だそう。 これからだと紅葉が見事かと思うので そのタイミングでぜひ見学に行きたいです。 【加賀藩初期、城下町整備のため前田利…
はやみちまち。 幸町から菊川方面、相変わらずの住宅街 ウロウロで精力的に探しました。 飛脚さん達がたくさん住んでいたのですね、 活気がありそうです! 【藩政時代、藩の足軽飛脚が居住していた 組地であった。飛脚のことを早道とよんで いたので、この名…
ほろまち。 先日、おてらくごを鑑賞しに行った時に 見つけたまちしるべ。 【藩政のはじめころ、母衣衆と称する武士の 邸地があったので、この名がついたという】 「母衣」とは、流れ矢を防ぐために骨組みに 竹などを使って膨らませてから鎧に掛けた 布のこと…
つちとりば。 大学病院ヨコ、金大医学部の敷地内です。 正面ショットがこんな感じで、柵が…残念。 このあたりの土を使い瓦を焼いたり、 土居や堤防としても使用したり。 土質がよかったのでしょうね。 【藩政前期から、このあたりの土を取って瓦を 焼いたと…
またごろうちょう。 住宅街を、地図を頼りにまちしるべ探し。 あまりキョロキョロしてると怪しい人物に なってしまうので、さりげなくキョロキョロ。 以前は近くに材木町小学校がありましたが 統合されて今はなくなってしまいました。 「とび出し注意」はそ…