あいする金沢。

日々「好き」が増す金沢のこと、私なりに。

まちしるべ

中橋町。

なかばしまち。 中橋交差点の近くのまちしるべ。 この近くのホテル、一度泊まったことがあります。 なかなか使い心地のいい部屋でした(⁠^⁠^⁠) 【宮腰往還を横切る三本の用水に 三つの橋が架けられ、その中央の橋を 中橋と呼んだ。この近くにある町なので こ…

小将町。

こしょうまち、兼六坂近く。 ふらっとバスでの小将町のアナウンスが好きです。 元気な声を聞いていると、こっちまで 元気になります! どこまでも青い空が、とてもキモチいい日の 散策でした(⁠^⁠^⁠) 【藩政時代、藩主の身辺を護衛する小姓頭や 小姓組の侍が…

旧殿町。

とのまち。 尾張町、能登の食材を使ったおにぎりのお店 「山里の咲」の近くにあるまちしるべ。 このお宅のブルーが気になって仕方ありません。 和洋折衷でしょうか… 十間町の武家地=殿町(⁠^⁠^⁠) 【もとは十間町の地内にあり、藩政期には その中の武家地を殿…

折違町。

すじかいまち。 正面に柵があるのでなかなかキレイに撮れない…。 そして漢字か読めないです^^; 昭和町の高架の下あたりにあります。 「すじかい」とは、斜めという意味でございます。 【鞍月用水に斜めにかけられた橋をすじかい橋と いい、この名が町の名に…

六枚町。

ここ六枚町も、平成16 年に町名が復活しました。 ひとつひとつに由来がある旧町名、 昔に思いを馳せるのが楽しいですね。 他の町名もぜひ復活させて欲しいです。 【藩政前期からある町人町で、この町の 宅地税である地子銀が年間六枚であったところから この…

旧備中町。

びっちゅうまち。 地図を頼りにまちしるべ探し。 材木町あたりをウロウロ、ウロウロ^^; 住宅街にひっそりと佇むまちしるべは、 散歩では見つけることが出来ません。 予め調べて目指し、見つけた時には テンション上がります。 【加賀藩士、岡島備中の下屋敷…

旧広岡町。

ひろおかまち。 今も残る広岡という地名。 説明書によると、平安末期から「ひろおか」と 呼ばれているのですね。 公園の樹木に囲まれ、全貌を撮ることは 出来ませんでした…。 【ひろおかの地名は、平安末期に見え 平岡野、弘岡と書き藩政期には北広岡村となり…

旧弓ノ町。

危うく通り過ぎてしまいそうになりました。 同化していると言うべきか、 目立たないと言うべきか。 ま、見つけられてよかったよかった。 本町の仁随寺の裏あたり。 【藩政時代、弓組の侍が住んでいたところで 後弓ノ町、升形弓ノ町とも呼ばれていたが 明治の…

彦三町。

今も昔も彦三町。 「ひこそまち」なかなか読めないかも、です。 昭和初期の「彦三の大火」を経て、 金沢市の都市計画第一号として彦三大通りと 小橋通りがつくられたそうです。 【加賀藩の重臣、不破彦三とその家臣が 住んでいたのでこの名がついた。 藩政時…

旧鍛冶町。

別院通りからほど近いまちしるべ、 乗善寺というお寺の前にあります。 場所を教えてもらい、出会うことが出来ました。 ありがたいありがたい(⁠^⁠^⁠) 【三代藩主前田利常から刀鍛冶等で宅地を 給わったものが住み、はじめ安江鍛冶町と 称されていたが、のち鍛…

旧日吉町。

ひよしまち。 放生寺というお寺の前にあるまちしるべです。 すぐ近くには鉄道の高架があります。 この高架が出来たことで、日吉町という町名は 無くなったとのこと。 【藩政時代に宮腰往還から広岡山王社への 山王道が通称日吉町と呼ばれ、明治期に 町名とな…

飛梅町。

とびうめちょう。以前の地名は石引、 2000年4月1日に町名復活しました。 辰巳用水と土塀、松の木が当時の景色を 残しているのでしょうか、見事です。 【前田対馬守長種にはじまる藩の老臣一万八千石 前田氏の下屋敷(家中町)があったところで、 同家の家紋「…

出羽町。

でわまち。 藩祖前田利家と、続いて利長に仕えた 篠原出羽守一孝の一族が住んでいたので この名がついた出羽町。 石垣普請の名人であり、金沢城河北門などの 普請に携わったといわれています。 歴史博物館のすく近くにあります(⁠^⁠^⁠) 【藩政初期、藩の重臣…

小橋用水。

前回訪れたのは夜でした。 今回は昼間、バローに寄ったついでにちらっと。 水車があり、用水沿いに散策路もあり、 季節毎に違った景色が楽しめそうです。

旧八幡町。

はちまんまち。 東山の宇多須神社すぐ近くのまちしるべ。 秋空が気持ちいい日でした。 【卯辰八幡宮が慶長四年から明治六年まで 宇多須神社の地にあったので、社号から この名がついた】

池田町。

いけだまち。 【蔵宿業の池田屋長右衛門が居住していた 池田屋小路を明治四年池田町一番丁と 改名したことからこの名がついた】 「蔵宿業」という言葉を調べてみたら、 幕府から旗本、御家人に支給される米の仲介業で 札差とも言うそう。 勉強になります。

旧大工町。

だいくまち。 片町のスクランブル交差点にほど近いまちしるべ。 昔は職種毎に纏まってまちが形成されることが 多かったのようです。 いろいろ便利かも。 【寛永の大火のあと、ここに拝領地を受けて 藩の御大工衆が住んだことからこの名がついた】

旧大藪小路。

片町、木倉町あたりをウロウロしていたら 見つけたまちしるべ。 偶然出会う確率が最近少なくなっていただけに うれしさ倍増でした〜。 【藩政前期、加賀藩士、禄高七百石の 大藪勘右衛門にはじまり、以後代々の居邸が この付近にあったのでこの名がついた】

賢坂辻。

この信号を右に曲がりしばらく歩くと、 椿原神社があります。 左に曲がると横山町あたりへ。 【久保市乙剣神社と椿原神社の氏子の地境であり また丘陵地の先端でもあることから昔は 剣先が辻󠄀と呼んだが、明治四年賢坂辻と改めた】

旧塩川町。

しおがわちょう。 中央通町のまちしるべで、大好きなお店の すぐ近くにあります。 ご縁を感じます(⁠^⁠^⁠) 【加賀藩士塩川安左衛門の屋敷が あったところなのでこの名がつけられた】

横山町。

横山児童公園にあるまちしるべ。 向かい側にはふらっとバスのバス停もあります。 加賀八家の横山氏がこのあたりに住み、 確か金沢三文豪の徳田秋声の生家もこのあたり ではないかと。 歴史深い界隈ですね。 【加賀藩の老臣横山氏が下屋敷のあったこの地に 元…

旧一本松。

「町」がつかないのですね。 松が一本あったから一本松、なのかな。 このあたり、坂がたくさんあります。 複雑に絡み合う道、迷路みたいです。 【もと笠舞一本松、小立野一本松とも 呼ばれていた。片側町で一方町といわれていたのが 一本松となったともいわ…

材木町。

現役の町名、材木町。 細く入り組んだ道が昔の名残を感じます。 【元和二年、紺屋坂付近にいた町民が 城郭修築用木材を宮腰港から運搬した功で 材木を与えられこの地に移転したため この名がついたといわれる】 木材を運んでごほうびに材木をもらい、 その材…

旧長門町。

ゆらゆらと揺れる柳の下にあるまちしるべ。 風情がありますね。 近くには長門橋、澄んだ用水が美しいです。 【加賀藩士山崎長門の邸地があったところで はじめは長門上ヶ地町と呼ばれたが、のち この名がついた】

旧傳馬町と。

片町犀川近く。 まちしるべの前に立ちはだかる柵。 まちしるべが先か、柵が先か… 美しい全貌を撮ることが出来ず残念です。 そばを流れる大野庄用水には気になるトンネル。 「御大典記念」「大正四年」と書いてあるかな。 昔々、大野庄用水の取水口はこのあた…

旧古寺町。

ふるでらまち。 片町に食事に行く時に見つけました。 【藩政期この地に寺が集められていたが、 元和のころになってそのほとんどを寺町台へ移し 跡地を子の名で呼ぶようになった】 今の風景からは想像出来ないですね^^;

旧金屋町。

かなやちょう。 ひがし茶屋街を過ぎると東山も静かです。 卯辰山の寺院散策に向かう途中に見つけた まちしるべ。 【もと今の尾山神社の地あたりにあった 藩の初め銀座役金屋彦四郎らが居住し金銀貨を 鋳造したのでこの名がつけられ、元和の初め この地に移さ…

旧柳町。

やなぎまち。 大きな道、幹線道路にはまちしるべが少ないような 気がしますが、このあたりには点在してます。 藩政期から要衝だったのか、町名由来のきっかけに なるような人がたくさん住んでいたのか、さて? 【町名の由来は、かつて伊予西条城主だった 一…

旧二十人町。

このあたり、複雑に坂や橋が絡み合っています。 近くに二十人坂という名前もありますが、 名前の由来は同じような感じなのでしょうか。 【藩政のころ、鉄砲足軽二十人をこの地に 住まわせたことから、小立野二十人町、 小立野足軽町二十人町などと呼ばれた。…

旧五十人町。

瑞泉寺の前にあるまちしるべ。 町の名前って、そこに住んでいた人の名前とか 家紋とか、どんな人達が住んでいたとかに因んだ 名前が多いですね。 ここは足軽のまち。 【藩政前期加賀藩士小幡宮内の下屋敷があったが、 のち、足軽五十人組が住んだのでこの名…