あいする金沢。

日々「好き」が増す金沢のこと、私なりに。

まちしるべ

旧古道。

ふるみち。 小さくてもスッキリと整えられた公園にある みちしるべ。キュートな遊具は、犬かな? 【金沢城下から宮腰(金石)へ通じる古い道で あったが、元和二年新しく往還ができたので 新道に対して古道と呼んだ】

旧主馬町。

「主馬町」しゅめまち。 なかなかの難読地名なのではないでしょうか。 人名とか地名とか、難しいです。 天気いい日だったな。 【藩政時代、鉄砲頭をしていた本庄主馬の 邸地があったので主馬殿町と呼ばれ、 のち、この名がついた】

金沢医学館発祥の地。

先日投稿した金大医学類にある医学館第一期生の 銅像を受けて、たまたま大手町を通ったので 金沢医学館跡地を探しました。 すぐ見つかった(⁠^⁠^⁠) このあたりに津田玄蕃邸があり、一番最初の 金沢医学館だったのですね。 今まで「点」だった知識が繋がって「…

旧醒ヶ井町。

さめがいちょう。 「旧」とありますが、まちしるべがあるのは 「醒ヶ井公園」。そして少し離れたところに 「醒ヶ井町」は実在します。 明治の頃、醒ヶ井町があったのはこのあたりだよ、 ということなのでしょう。 【藩政時代は北広岡村領の請地で前田土佐守…

旧三社五十人町。

さんじゃごじゅうにんまち。 長土塀あたり、です。 まちしるべの字体が他と少し違って、ゆるやかに 流れるようで素敵。 字体は何を基準に選ぶのかな、いつも気になる…。 【藩政時代、この地に足軽五十人組の 組地の一つがあり、三社にあったことから これを…

旧成瀬町。

なるせまち。 何か理由があるからごみ集積所が近いのか、 たまたまなのか。 こういうパターン多いです。 生活と共存しているまちしるべ、ですかね。 【加賀藩重臣成瀬氏の邸地であったので この名がついた。昔は高石垣の上に楼門、長屋 などがあり、俗に加賀…

寺町。

てらまち、まさに「寺町」のまちしるべは 妙法寺というお寺の前にあります。 この妙法寺、大きな大きなドウダンツツジが 有名だそう。 これからだと紅葉が見事かと思うので そのタイミングでぜひ見学に行きたいです。 【加賀藩初期、城下町整備のため前田利…

旧早道町。

はやみちまち。 幸町から菊川方面、相変わらずの住宅街 ウロウロで精力的に探しました。 飛脚さん達がたくさん住んでいたのですね、 活気がありそうです! 【藩政時代、藩の足軽飛脚が居住していた 組地であった。飛脚のことを早道とよんで いたので、この名…

旧母衣町。

ほろまち。 先日、おてらくごを鑑賞しに行った時に 見つけたまちしるべ。 【藩政のはじめころ、母衣衆と称する武士の 邸地があったので、この名がついたという】 「母衣」とは、流れ矢を防ぐために骨組みに 竹などを使って膨らませてから鎧に掛けた 布のこと…

旧土取場。

つちとりば。 大学病院ヨコ、金大医学部の敷地内です。 正面ショットがこんな感じで、柵が…残念。 このあたりの土を使い瓦を焼いたり、 土居や堤防としても使用したり。 土質がよかったのでしょうね。 【藩政前期から、このあたりの土を取って瓦を 焼いたと…

旧又五郎町。

またごろうちょう。 住宅街を、地図を頼りにまちしるべ探し。 あまりキョロキョロしてると怪しい人物に なってしまうので、さりげなくキョロキョロ。 以前は近くに材木町小学校がありましたが 統合されて今はなくなってしまいました。 「とび出し注意」はそ…

旧北国街道。

「このあたり北国街道だった」まちしるべ。 何ヶ所かあるようですが、偶然見つけました。 興味深いまち、袋町です。 【古代には北陸道(ほくろくどう)と呼ばれ 日本海側の主要街道であった。 藩政時代この町から尾張町へ出る通りが 主要道となっており交通の…

旧富本町。

とみもとちょう。 ふらっとバスでも「富本町」というバス停が あるので、当然今も健在の町名かと思ったら 今は無いのですね。 秋になったらすぐ近くにのディーズさんに コーヒー飲みに行こう(⁠^⁠^⁠) 【文政六年に法船寺町から分立し、町内には 鍔屋小路も含…

旧大隅町。

おおすみちょう、「古道木揚場」すぐ近く。 「大隅橋」という橋もあったので、説明書の通り このあたりが広く長大隅守の下屋敷地だったの でしょう。八家ですもんね。 【加賀藩の老臣、長大隅守の家臣が寛文期に 能登から移り住んだところで、新(荒)屋敷、 …

旧古道木揚場。

ふるみちきあげば。 このあたりで鞍月用水と大野庄用水が合流。 更に水門の向こうで、木曳川と樋俣用水に 分かれます。こうやって分流や合流を繰り返し 用水はまちの隅々まで潤すのですね。 【藩政時代、宮腰(金石)から船で材木を運搬し 陸揚げしたところな…

旧渕上町。

ふちのえまち、なかなか読めません。 見渡してみると中島大橋の橋灯が笠のカタチ。 笠市町が近いから、らしいです。 【浅野川の淵の上にできた町で、藩政のころは 堀川川除町、堀川淵上町と呼ばれていたが 明治の初め、この名に改められた】

旧石屋小路。

エムザ裏あたりで見つけたまちしるべ。 導きが無いとなかなか見つけられない場所かと。 今回はお導きがあり、出会うことが出来ました! うれしいですわ。 石工のまち、石を打つ音が聞こえそうです。 【もと安江町横町と呼ばれていた。 藩政初期、藩の御用を…

杉浦町。

地図を頼りに探したまちしるべ、 新竪町の裏手あたりでした。 以前は住宅があったようですが、今は無く 全方位駐車場。そして四方向全てにミラーが。 狭い道だからニアミス要注意ですね。 まちしるべがある場所って本当にいろいろで、 それもおもしろい。 【…

旧荒町。

別院通りから安江天満宮方面へ行く途中、 光専寺というお寺の前にあるまちしるべ。 由来は「木ノ新保町」と関係があるようです。 【寛永年間には木ノ新保新町と呼ばれ 新しくできたのでこの名がついたといわれる 元禄の頃には荒町となっているが 荒町は新町…

旧蔦町。

つたまち。 地図を頼りにまちしるべ探し…意外とすんなり 見つかりました。 手前の風車?みたいなオブジェがいい感じですね。 このあたりに下屋敷があった藩士の家紋が 町名の由来とのこと。 家紋が由来の町名、多いような気がします。 【加賀藩士禄高七千六…

中橋町。

なかばしまち。 中橋交差点の近くのまちしるべ。 この近くのホテル、一度泊まったことがあります。 なかなか使い心地のいい部屋でした(⁠^⁠^⁠) 【宮腰往還を横切る三本の用水に 三つの橋が架けられ、その中央の橋を 中橋と呼んだ。この近くにある町なので こ…

小将町。

こしょうまち、兼六坂近く。 ふらっとバスでの小将町のアナウンスが好きです。 元気な声を聞いていると、こっちまで 元気になります! どこまでも青い空が、とてもキモチいい日の 散策でした(⁠^⁠^⁠) 【藩政時代、藩主の身辺を護衛する小姓頭や 小姓組の侍が…

旧殿町。

とのまち。 尾張町、能登の食材を使ったおにぎりのお店 「山里の咲」の近くにあるまちしるべ。 このお宅のブルーが気になって仕方ありません。 和洋折衷でしょうか… 十間町の武家地=殿町(⁠^⁠^⁠) 【もとは十間町の地内にあり、藩政期には その中の武家地を殿…

折違町。

すじかいまち。 正面に柵があるのでなかなかキレイに撮れない…。 そして漢字か読めないです^^; 昭和町の高架の下あたりにあります。 「すじかい」とは、斜めという意味でございます。 【鞍月用水に斜めにかけられた橋をすじかい橋と いい、この名が町の名に…

六枚町。

ここ六枚町も、平成16 年に町名が復活しました。 ひとつひとつに由来がある旧町名、 昔に思いを馳せるのが楽しいですね。 他の町名もぜひ復活させて欲しいです。 【藩政前期からある町人町で、この町の 宅地税である地子銀が年間六枚であったところから この…

旧備中町。

びっちゅうまち。 地図を頼りにまちしるべ探し。 材木町あたりをウロウロ、ウロウロ^^; 住宅街にひっそりと佇むまちしるべは、 散歩では見つけることが出来ません。 予め調べて目指し、見つけた時には テンション上がります。 【加賀藩士、岡島備中の下屋敷…

旧広岡町。

ひろおかまち。 今も残る広岡という地名。 説明書によると、平安末期から「ひろおか」と 呼ばれているのですね。 公園の樹木に囲まれ、全貌を撮ることは 出来ませんでした…。 【ひろおかの地名は、平安末期に見え 平岡野、弘岡と書き藩政期には北広岡村となり…

旧弓ノ町。

危うく通り過ぎてしまいそうになりました。 同化していると言うべきか、 目立たないと言うべきか。 ま、見つけられてよかったよかった。 本町の仁随寺の裏あたり。 【藩政時代、弓組の侍が住んでいたところで 後弓ノ町、升形弓ノ町とも呼ばれていたが 明治の…

彦三町。

今も昔も彦三町。 「ひこそまち」なかなか読めないかも、です。 昭和初期の「彦三の大火」を経て、 金沢市の都市計画第一号として彦三大通りと 小橋通りがつくられたそうです。 【加賀藩の重臣、不破彦三とその家臣が 住んでいたのでこの名がついた。 藩政時…

旧鍛冶町。

別院通りからほど近いまちしるべ、 乗善寺というお寺の前にあります。 場所を教えてもらい、出会うことが出来ました。 ありがたいありがたい(⁠^⁠^⁠) 【三代藩主前田利常から刀鍛冶等で宅地を 給わったものが住み、はじめ安江鍛冶町と 称されていたが、のち鍛…