あいする金沢。

日々「好き」が増す金沢のこと、私なりに。

まちしるべ

大野庄用水。

長町を流れる大野庄用水。 時代を超えて残る武家屋敷の庭園の曲水として 利用されているところもあります。 雪吊りと薦の季節の一枚でした(⁠^⁠^⁠) 【藩政前からある用水で、犀川から取水し 旧石川郡大野庄、灌漑、物資運搬、市街地の防火、 防ぎょ、融雪など…

金沢市歴史のまちしるべ案内。

偶然の出会いが楽しい「まちしるべ」。 おそらく一番最初に設置された時の案内であろう 小冊子を、東急スクエアのうつのみやの 古書コーナーで見つけました。 これも偶然の出会いか、 はたまた出会うべくしての出会いか…。 見つけた瞬間「おぉ…」とココロの…

旧中町。

尾張町と十間町の間のまちしるべ。 ここもいつも通ってたのに完全スルーしてました。 【藩政初期、金沢城大手門から出る 本通りの町だったのでこの名で呼ばれ 本町の一つとして重んじられた】 大手門からまっすぐの道、 きっと賑わっていたことでしょう。

笠市町。

まちしるべの近くに立ち周りをぐるりと見たら、 真っ先に目に入ったのが天狗中田さんの看板。 目立ちますね(^^) 【藩政時代、この付近に笠問屋がならび、 市がたち、「加賀の菅笠」の名は諸国に広まり 笠市または堀川笠市と呼ばれた。 のち、この名がついた】

長町。

あまりゆっくりと散策したことがなかった 長町界隈。 一度足を踏み入れたら興味深い場所がいっぱい。 図書橋(ずしょばし)ってどこだろう? 【藩政時代はすべて藩士の邸地で、 香林坊下から図書橋あたりまでの長い道筋で あったところからこの名がついたと…

旧助九郎町。

にし茶屋街すぐ近くにあり、茶屋街がまっすぐ 見渡せるナイスロケーションのまちしるべ。 夕暮れの空がいい感じの日でした。 【藩政時代、本間助九郎または葛巻助九郎の 邸地があったので、この名がついたという】

旧新町。

尾張町から一本入った道、下新町になるのかな、 久保市乙剣宮の近くにあるまちしるべ。 なんともいい雰囲気の「朱色」が目を引きます。 数軒隣にも同じような朱色の建物が。 まだ少し雪が残る2月の風景でした。 お盆過ぎれば少しは涼しくなるかなぁ… 【藩政…

里見町。

竪町近くとは思えないほど静かで、 昔からの町並みが続く里見町。 道が一本違うと雰囲気もこんなに違うのかと びっくりします。 金沢ならでは、でしょうか。 里見町、好きです。 【加賀藩士禄高千百石の里見氏の屋敷が あったことからこの名がついた 享保の…

広坂・金沢中警察署跡地。

しいのき緑地、広坂交差点に近いあたりに。 ここも、さもすれば気づかずに 通り過ぎてしまう場所かと。 広坂警察署から金沢中警察署へ改称し、 昭和63年に移転。 まちしるべを辿ると、金沢の今昔が見えます。 まだまだ探します!

大手町。

四季により姿を変えるこのあたりが大好きです。 昼間もいいけど、ライトアップされた景色も ステキです(^^) 【藩政時代は金沢城の大手口であったので この名がついた。大手先、小坂口とも呼ばれ、 大身の武士が住んでいた】

旧西町。

金沢検定やなにやらで、いつもお世話になっている 商工会議所の前にあるまちしるべ。 通り慣れた道なので、周りの景色を撮るのを すっかり忘れてしまいました^^; 【金沢御坊の西にできたので この名がついたといわれ のち尾山城(金沢城)になってから でき…

堤町。

百万石通り、某ホテルの角にあるまちしるべ。 通る機会が多いのに、見落としてました^^; 【藩政期以前にできた寺内町の一つで 掘り上げた土の堤上に町地ができたことから この名がついた 寛政十二年の火災を機に西内惣構堀の内から この地に移された】

並木町。

ふらっとバスの並木町停留所近くのまちしるべ。 ここも2005年に町名復活しております。 サクラの季節に撮影したので、 ぼんぼりがチラリ(^^) 【藩政時代、浅野川の護岸のために 川沿いに植えられた松並木にちなんで この名がついたという】

袋町。

袋町のバス停近くにまちしるべを発見。 やっぱり袋みたいだから「袋町」なのですね。 2007年に町名が復活しているので 「旧」が消えています。 【藩政期の本町の一つで、この道筋が 北国街道であった。 道の両側が曲って袋のようであったところから この名が…

油車。

日が暮れる直前に見つけた油車。 夕暮れと鞍月用水の流れる音が なんだかとてもここちよかったです。 【藩政初期、油屋与助という油屋が この地に水車をつくり 灯油などの製造をしていたことから この名がついた】

にし茶屋街。

ひがし茶屋街、主計町、と並んで 金沢の三茶屋街のひとつ、にし茶屋街。 訪れたのは百万石まつりの少し前。 ちょうちんがいい感じで風に揺れておりました。 入口にはにし茶屋街ゆかりの作家、 島田清次郎の「地上」の一節が。 【あゝ、この感情、この真理、 …

旧白銀町。

旧しろがねちょう。 ちらりと雪が見える景色、時々登場します。 【藩政初期は安江村であった。 町地が広がったため安江木町となり、その一角に 白銀細工師がいたため町名になったという】

旧胡桃町。

兼六園下の交差点、和菓子の中島さんの すぐ前にあるまちしるべです(^^) 【この地の東内惣構堀にかかる橋を 橋詰の染師黒梅屋の名によって黒梅橋と いったが、俗にくるみ橋と呼んだことから 明治四年この名で町立てされた】

千日町。

細い道ながら、なかなかの交通量の雨宝院前。 ここに千日町のまちしるべがあります。 車の邪魔にならないように気をつけて 写真を撮りました^^; 【この町に真言宗の雨宝院があり 山号が千日山であるところからこの名がついた】

南町。

尾山神社すぐの南町、みなみちょう。 旧町名復活により2008年に南町復活しました。 「旧」が消されております(^^) 【佐久間盛政が城主のころ 城の南にあったのでこの名がついた 文禄元年この地に移転したが 寛永十二年の移転説もある】

旧森下町。

もりもとまち。 近くにはフシギオブジェが。 もっとじっくり見ておけばよかったです。 【藩政初期、森下村の郷士亀田大隅の子孫が 染工になって居住していたので この名がつけられた。】

堀川揚場。

瓢箪町をうろうろしていた時、 偶然見つけた堀川揚場。 いつも偶然見つける指標ですが、 今回はいつもよりうれしかった。 お〜こんなところに!?な発見でした。 【加賀藩時代から大正初期まで 浅野川を川舟で運んできた物資を荷揚げした 場所だったのでこの…

小橋用水。

江戸時代開削の用水。 のんびり歩ける遊歩道と 水車があるのですが… 夜だったのでなにやらわからず(泣) 【元禄年間、城下町の防衛などの目的で 築造された用水で、旧水車町では 精米、精油などの水車をまわしていた。 かつては小橋上流付近に、竹製の蛇籠に …

旧木ノ新保。

金沢駅前、もてなしドーム向かい側の まちしるべ。 今はこのあたりは此花町。 金沢駅の住所が木ノ新保だから、 昔の木ノ新保は もっと広い範囲だったということですね。 【古くは石川郡石浦庄木ノ新保村で 藩政初期のころ金沢城近くの西側から この地に移り…

堂形前。

しいのき迎賓館のシンボル、 堂形のスダジイ近くにあるまちしるべ。 【加賀藩初期、京都の三十三間堂の 「通し矢」を模した練習場があり これを堂形と呼んだ。 のち、そこに米倉が建てられた。】

旧五寶町。

ごぼうまち。 西別院の山門のすぐ近くにあります。 【西末寺(本派本願寺派別院)の門前で 藩政時代は西末寺町、西御坊町とも 呼ばれていたが、明治の初め、 この名に改められた】 このあと、町の踊場を探しに瓢箪町へ。

小橋町。

名前通り、小橋の近くにあるまちしるべ。 OTABAさんや、あめの俵屋さんも近いです。 【藩政時代、小橋は犀川大橋、浅野川大橋と ともに金沢の三ツ橋と呼ばれ、 金沢城防衛上の重要な拠点であった。 この橋の近くにある町なので 明治になってこの名がついたと…

旧田丸町。

白鬚神社のすぐ近くにある、たまるまち。 【加賀藩士田丸兵庫が住んでいたところで 兵庫は寛永期大聖寺藩に仕えたので 田丸兵庫上ヶ地町と呼ばれていた のち略してこの名がついた】

水溜町。

新竪町から細い路を入ると、 全く違った景色が広がります。 【犀川の河原であったが、 川跡を追い追い埋め立て、 埋め残りに水溜堀があったのでこの名がついた。 元禄年間、60メートル余のこの堀は 水溜と呼ばれ消防に役立った。】 保存樹にもなっているモミ…

旧岩根町。

【藩政初期、馬術の名人岩根十蔵が開いた 馬場があったので岩根馬場と呼ばれていたが 中期のころこの名がついたという】 小橋近く。 このあたりには広く馬場があったようですね。